私の夢であった自動車です。

私の夢であった自動車です。
私の夢と幸せであった自動車の発展究極形です。自動車大好き人間は、一度は世界最速の自動車の所有者になりたいと思います。しかし、現実は、金銭はなく、所有がダメですが、中古車を購入すれば、簡単に叶います。世界最速の自動車は、私が子どものころに進駐軍の兵士に乗せてもらった、ジープが原点です、温故知新で叶いました。自動車の運転は、法律に従い遊ぶ、文武両道の極みです。私の物事は、全てが一点を基準にして、物心両面、文武両道そして温故知新の思い出がありますが、幸せをさらに求めて、日本人が不可能で見ることも考えない、自動車の背面に鏡を設置した理由は、金庫の修理で米軍基地に行きました。MPの乗ったjeepの先導車の後部に「大きな鏡」と「FOLLOW ME」の看板ありました、私は、昼間であってもヘッドランプを点灯して先導車の後を追った、思い出と模倣・・私の画期的な趣味と小細工でしょう。こんな私です。こんな小細工のできることもある程度の固定資産と不動産があるためです。

2011年7月13日水曜日

毎日は、なにをするでもなく、暇な一日を遊ぶ私が今朝、人間の金銭欲と寿命を考えました。

今朝のブログは、私がevernoteに昨夜は、後に記述の沼田さんのこと、
今朝が邱さんのことをメモ帳に下書きとして書き、このBloggerの下書きスペースに、
コピー&ペーストでリンクしたら、どこかの設定が狂い文章の行と句読点が
チグハグとなりました・・ご了承ください。

私が人間の寿命と金銭欲について思うことは、今朝の読売新聞の10面に、
「時代の証言者」があり、邱 永漢さんのお話があります。

私の予てからの疑問点は、氏のお話にありました。

それは、「女性がいちばん興味を持っているのはお金でしょう。
でも、お金の話がないですね」とあります。
そして、日本では、お金のことを口にしないのが美徳とされています。
欲を抑えてしまうから、結果として、「のどから手が出るほど欲しい」とか
「欲と二人づれ」とか、他の国にはない言葉が生まれたのでしょう。
とあります。
これは、まさに、言い得て妙です。

私は、さすが、りゅうせき、ながれいし・・流石に、東京大学を出たお人は、
エライ・スゴイが敗戦後の価値観のことです。
敗戦前の日本人は、大日本帝国軍人を目指す「海軍や陸軍士官学校」。

日本人は、このように時代と場所が変わると価値観が変わります。
現在の日本人は、良い悪いを別にして、東日本大震災に端を発して、
東京電力福島第一原子力発電所の爆発、放射能飛散事故で大騒ぎ。

大騒ぎの最大の理由は、将来は何が、どこだと、どの程度だと、
正確に言うことが不可能だが、理由の如何にかかわらず、怖い、兎に角、
薄気味悪いが本音のところでしょう。

私は、別な見方として、2011年7月12日付け、即ち、昨日の読売新聞の夕刊、12面の最下段に物故者のお知らせ記事です。

それは、沼田鈴子さんです。

沼田鈴子さんは、いわゆる、戦時中にアメリカ軍の爆撃攻撃機ボーイング社製。
飛行機B 29型・・名前がエノラ・ゲイ号に搭載された、
リトルボーイの原子爆弾が広島市の上空で爆発・・
爆心地より1マイル以下の1.3km離れた、広島逓信局で被爆しましたのです。

その後は、教員として28年間働いた後、
現在の年寄りの言葉ならば、若いものには、負けない体力、
体質に気丈さで、東京ならば、落語家の台詞・・どうもすいません・・
故林家三平さんの奥様の老後生活と同じです。

沼田鈴子さんは、広島原爆被爆体験の語り部に幸せを求めました。
1973年に広島平和記念公園に移された被爆アオギリの木の下などで~、
戦争の根本原因を知らない修学旅行の子どもらを 相手に語ってました。
そして、12日、87歳の生涯を閉じました。

沼田鈴子さんのお身体は、世に言う・・放射能被爆であっても、
放射能に打ち勝つ、自己治癒力が強く、機能障害の発生がなく、
長寿を全うなされましたのでしょう。

私は、人間の金銭欲やその人間の寿命、人生で幸せ、不幸などが、
一概には、分からね~が、実感です。

なので、私は、死ぬまで、思い切り、言いたい放題・・
したい放題で、残された人生を死ぬまで、生きて見せると、
女の愚妻に心に決めた次第です。
 
(無題の投稿)

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