私の夢であった自動車です。

私の夢であった自動車です。
私の夢と幸せであった自動車の発展究極形です。自動車大好き人間は、一度は世界最速の自動車の所有者になりたいと思います。しかし、現実は、金銭はなく、所有がダメですが、中古車を購入すれば、簡単に叶います。世界最速の自動車は、私が子どものころに進駐軍の兵士に乗せてもらった、ジープが原点です、温故知新で叶いました。自動車の運転は、法律に従い遊ぶ、文武両道の極みです。私の物事は、全てが一点を基準にして、物心両面、文武両道そして温故知新の思い出がありますが、幸せをさらに求めて、日本人が不可能で見ることも考えない、自動車の背面に鏡を設置した理由は、金庫の修理で米軍基地に行きました。MPの乗ったjeepの先導車の後部に「大きな鏡」と「FOLLOW ME」の看板ありました、私は、昼間であってもヘッドランプを点灯して先導車の後を追った、思い出と模倣・・私の画期的な趣味と小細工でしょう。こんな私です。こんな小細工のできることもある程度の固定資産と不動産があるためです。

2011年5月7日土曜日

私が人生で選択したこれぞと信じた職業は、将来が絶対に消滅せずに、逆に、増加の一途ですが、皆様が存在すると思いますか?

私の選択した職業は、現時点の言葉ならば、「想定外」です。

高等教育を収めた人間がこれぞ、日本一の業績を誇る役所、自治体、
企業に就職しても、人間の判断したことは、頂点であって、たとえ、
頂点が高原のように変化すると思えても、いつの日にか、
「兵どもの夢の跡」になるでしょう。

太陽が沈まぬと称された大英帝国であっても同じです。

私がそのようなことを極東の島国の日本に住む一個人の私は、
永久に亀の甲や、年の功で、幸せを求めることは不可能であると考えました。

ならば、日本人が必死に労働した結果に得た金銭を保管する「金庫」を
作る売ることは、玩具を考えて作って売るとまったく同じです、
他人に頭を下げることが「嫌なこった」です。

が、しかし、物体はいつの日にか使用すれば「壊れます」。

物体が壊れた、即、廃棄するにしても、修理すれば使用可能である、
物体の修理屋ならば、絶対に、金儲けの種は、消滅しません。

日本人のすべては、この点を見落として、不景気だ、貧乏人だと
自分自身を嘆くのです。
不幸であるか、貧乏人であるか、幸せな金持ちであるかの違いは、
人間の考え方です。

私は、兎に角、病気の親を助けた、逆が病気の親の自分自身を我が子が
助けた親子の価値観が一致したことは、私は24歳で日本人が考えない
幸せを実感しました。

子どものころから私は、一人ぽっちで、いつも仲間外れで、誰にも
相手にされずに、大人になって、知った楽しみがお酒を飲んで、
お喋りだけでしたが、案外に、灯台下暗しで、一条の光を見出しました。

2011年5月6日金曜日

皆様は、毎日の労働の義務を解放されたらどうなされますか?逆に、解放を求めて結婚ですか?・・まさか~・・です。

 私の場合は、早速、親が現在お世話になっている「おたな」、お店、
金庫修理労働配給先、サービス提携先、広島県に本社を置く、
現在は「クマヒラ」40年前が「東京熊平金庫店」の総務課に伺い、
父が病気なので、明日から私が修理にお邪魔します・・よろしくお願いします。

私は、この点が日本の労働環境のベストな点と認識しました。

 現在のような、言葉が悪いのですが、小面倒くさいことがなく、
親を信用するからその子どもも同じく信用するで、
「お店にお出入り」が即座に許されました。

 私は、高校生のころから、父親の道具のかばん持ちの助手で
銀行などに伺いましたので、句。「勝手知ったる何とか」で、難なく、
全く新しい労働環境に慣れた、ではなく、気楽でいいな~です。

 私は、兎に角、物体の「修理労働」は、労働すべき点が、明白です、
命令が、これを修理しろ!で、曖昧でなく、大好きな労働です。

 今の私は、昔を思うとアメリカのヒラリー・クリントンさんの言葉で、
私の生まれた場所と時代にそして、私が親の背を見た育ったことが良かった~
・・のです。

 私は、昔が大手労働組合の組合活動にありましたが、
現在は、小学校の社会科の教科にありますが職場訪問です。
有名なのが昔からある、大手の牛乳工場見学です。
子どもは、工場見学や、お巡りさんに、バスの運転手に消防署見学です。

子どもが大人に成長すると、勤め人のサラリーマンです。
サラリーマンの子どもの不幸なことは、何を目標にすれば良いのか?
不明なことです。

子どもの親は、しょうがない、近所の大人がボランティアの野球やサッカーです。
女性ならば、ピアノやバレーの御稽古事です。

趣味のない人間は、大人になると金銭を支払い、趣味のクラブに通うのです。
究極は、資格の取得が目標となり、テレビドラマにありますが、
無数に資格を持つ見習い警察署勤務の事務雑用係です。

 私は、逆に、この点が、一つのことを好きであり続ける「趣味や楽しみ」を持つ
人間の強みで、食う道に困らなかったのです。

2011年5月5日木曜日

親が病気入院、私の現実は、金銭が基準でした。

 私は、人間の長い人生を誰のために、生活するのかで、
その人間の人生が決まると思うのです。

 最善の典型は、世のため人様のために、生きる、生活する人間が、
宗教に関係する人でしょう。

最悪の典型は、世のため人様がダメだと決める犯罪・・究極が殺人です。
殺人の一部に、良い悪いが曖昧な「自殺」であると考えます。

 私の場合は、子どものころの当時から映画にある、アメリカ、アメリカで
好きなことをしながら生活すると決めました。

 私は、そのためには、ホンダに入社、レースに出場、子どもながらに
「夢みる夢雄ちゃん」でした。
 私のある面は、私がアメリカに渡るのではなく、玩具を先に送り出すことで
初期段階まで、到達しました。

が・・しかし・・人間は、気持ちが日々進歩進化発展、悪く言えば、
子どもの時の考え方が現実的ではないと気が付くものであると
私は、思うのです。

 私は、逆に、子どものころに聞いた、思った、考えたことを
大人の今でも考える、継続していることが、私だけの個人的考えですが、
バカな大人と思います。

私は、なので、子ども相手の教師は、バカですとなります。
証明は、子どもの親が教師のことを良い大人と見ないのです。
子どもの親は、いつも、大人の教師にダメと文句を言うのです。
子どもは、大人の教師をバカにして、暴力を振るうのです。
子どもの判断と行動は、正しいか?間違いか?不正か?

私の超現実的なことは、毎朝の「マイド」がバカげたことで、嫌なこったです。
 私は、・・しかし・・会社が終われば、お酒を飲む、植木等さんの歌で、
「サラリーマンは気楽な稼業」で、給料が税込み¥3万で、
4、5、6と7月の4ヶ月間、労働したら、給料以外に
ボーナスの臨時給料が¥10万円を頂ました。

親は、入院していて、我が家の家計が先細りです。
母は、この先どうしよう・・神様、仏様に早く亭主の身が元気に
なりますように、お願いの毎日と病院に日参です。

 お医者さんからの決断は、手術で、化膿している肺の一部を
切除する方法・・肺結核の手術と比較すれば「簡単」である。
他の方法は、薬即ち抗生物質のペニシリン等で治療です。

私ども患者にしてみれば、お医者さんが病人を治療するには、
内科療法と手術の外科療法があると話を聞き、お医者さんから
決断せよと言われました。

 男の私は、母親の行動を見ていると昔話や小説に、病院に入院している
男の病人と看護婦さん、反対に、女性の患者と男の医師の恋愛話が
生まれることが当然と考えるようになりました。

私は、究極的結論が1967年昭和42年9月6日の誕生日・・
昔の表現で、おんとし御歳、24歳を境に米沢玩具殿に、
親が病気で、生活できないので、親の家業と稼業の「金庫修理屋」を
継ぐ理由で「辞職願}「退職願」を提出しました・・即座に「OK]でした。

人生なんてこんなもの・・と・・私は考えます。

2011年5月4日水曜日

一家の家長の大黒柱の稼ぎ手の父親の病気は、普通のご家庭ならば、家族の不幸の始まりですが、私は、逆に、夢が実現した幸せの始まりでした。

父は、早速、近所の通称が慈恵医大の青戸病院で身体検査でした。

 お医者さんからは、何故か?父の身体のどこが病気であるのかを、
教えていただけませんでした。

 理由は、父の誕生が明治で、父の生活は、昭和42年(1967年)ですが、
父の病気が明治や大正時代の時代遅れの病気であって、
お医者さんの教科書の病気一覧表のカタログに掲載されているが、
実際にお医者さんが目にした、経験した、治療した病気ではない、
珍で奇なる病気で、診断に手間取りました。

病名は、肺壊疽(えそ)です。
 お医者さんは、父が病気に至る予測は、父が空気を胸一杯吸い込んで、
空気の中の埃が何かの切っ掛けで肺の部分に刺さり、
肺の部分が化膿している、との診断でした。

証明は、このレントゲン写真を見ろ!です。
この写真は、お前の親父が直立不動の場合だ!です。
この写真は、仰向けに寝た状態。
これは、うつ伏せだ!

 すべてのレントゲン写真に映し出された鶏卵大の影に対して、
半分の部分に暗く水平線が見えることは、化膿した液体である。

 病気の結果と原因は、病気の部分が液体であるので、
父の身体の位置を変えても、(暗い水平線)の影が見えるのだと
母と愚兄(愚弟と嫁に行った愚姉を除く)と私の3人がお医者さんから説明を
受けました。

 お医者さんは、今や昭和の時代で、最早や戦後でない、オリンピックも終わり
近代日本に、「結核病」ならば、まだしも病気の存在が理解できるが、
「肺壊疽」と呼ぶ、時代遅れの病気の存在が不思議である、でした。

お医者さんに、父の生活状態を話しました。
お医者さんは、わかった!です。
 父は、異常と思えるほど強度の近眼ですが、逆に、身体が異常と思えるほど
健康で風邪も引かずに、一家6人(一時は爺婆込み頭数8個)を乗せた
荷馬車を引き、元気に暮らしました。

普通の人間ならば、頭が痛い・・風邪を引いた?、風邪薬を飲むです、
風邪薬には、何らかの風邪のばい菌を殺菌する薬が入っているのです。

風邪薬の中には、「肺壊疽」を発症させるばい菌を殺菌する薬も
含有しているかも?知れないですが、父が逆に生まれてから病気一つしない
人間であったのです。

父は、寄る年波と私が就職した、父は親の責任を果たしたと思った、途端に
気の緩み・・緊迫感の箍が外れた、病魔が襲ったのでしょう。

 父の病気と女親の母のこれからの生活と心配性は、しようがない・・
神様の悪戯です・・が、私に取っては、天から授かった、神様の微笑み・・です。

理由は、明日。

2011年5月3日火曜日

皆様は、人生の出来事が運命ですか?逆に、ホルモンの質と程度の問題ですか?

私が私自身の人生を決めた切っ掛けは、医師の言葉ならば、ホルモンです。

 私は、学生のころから、ユダヤ人とユダヤ教の教えに従い、
金儲けをするのなら、女性と子どもを相手にしろ!を座右の銘にして、
玩具の輸出卸会社に就職しましたが、現実は、聞くと見るとは大違いでした。

私の労働は、毎日決まったことだけの明け暮れでした。

 私の生活は、毎日悶々としていました、一日が終われば、先輩社員から
酒飲みにご招待でした。

 私は、世に言う、このようなことの繰り返しが、商売、商い、
厭きない、あきないの道と言われますが、心では、嫌なこった・・です。

 私は、会社を休もうかな~・・だけどな~・・休んでどうなる?
じゃ~・・会社を辞めちゃお~かな~・・です。

私が究極的に幸せであったことは、自動車の楽しみがありました。
 私は、愚兄と親が決定、購入した、いすゞ自動車製のヒルマン・ミンクスを
乗って運転しても母が喜ぶだけで、私は何だか?タクシーの運転手の気分で、
楽しくなかったのですが、逆に、ボーナスを貯めて、親と兄を仲間にして、
違うモデルの自動車を買うぞ!で、新たな違う楽しみを見出しました。

人間の生活ならば、一つの現象に対して怒る、笑う、切っ掛けが
喜怒哀楽のホルモンでしょう。
人間の肉体ならば、女性らしさ、男らしさがはっきりと正確に性格で現れる
女性ホルモンであり、男性ホルモンです。

 ホルモンは、怒る度合いや程度がアドレナリンホルモンの突出程度の違いで、
思春期ならば、喧嘩で人生を誤る・・松竹映画「黄色いハンカチ」でしょう。

 私は、人間の人生を決めることが僅かな「神様のさじ加減」で
大きく変わると確信と断言です。
現在の日本人ならば、東日本大震災でしょう。
 日本人の諺には、昔から地震、雷、火事、親父とありますが、
まさか~・・これほどまでの大きな日本有史以来の大災害が~です。

逆に、私の親父は明治の生まれで、肉体的欠陥が、強度の近眼で、
大日本帝国がアメリカの真珠湾に攻撃しても、近眼の人間は役立たずで、
兵役免除で、子どもを育て上げ、我が家が幸せでしたが~・・、
母親は、親父の吐息が臭~いと言い出しました。

熱が有る・・自動車ならばオーバーヒートだ~!
民間療法もダメ!~で、入院で~、続きが明日。

2011年5月2日月曜日

皆様が人生を決めたことは、??ですか。

 私のブログの特徴が普通の人と違うことは、まあ・・私の自叙伝・・
自分史のようなことを書けば、毎日でも、さらに、私の趣味の自動車のことを
書き加えれば、永久に書き記すことができます。

私は、ちょっと違うでしょう。

 皆様のブログは、新聞の話題や種が典型ですが、興味や話題が
一定していないのです。

 私は、東京大学の名誉教授の言う・・ある種の才能が
なせる業で一つのことだけに興味を抱き今日まで現在に至るです。
 他は、芸術家やタレントが典型ですが、私が誰かに教えを受けることが
今でも大嫌いです。
そして、人間はいつか死ぬので、今死んでも人生に悔いなしです。

 私の生い立ちは、東洋大学卒業と米沢玩具の玩具会社に就職したことまで
書きました。
 さて、私が人間の長い人生は、何が切っ掛けで、決定するのかに
非常に興味を持つ者です。
 私は、以上の理由で、新聞、週刊誌、そして私の人生を決した・・
金庫の修理屋を廃業以後がパソコンで検索ですが、その人が人生を
決定したことを読んで納得しました。

私は、凡人とは一味違う、功成り名遂げたお人は矢張り、違うとなるのです。

・・に対して、私の主義主張は、日本とアメリカが戦争したように、
すべてが対比・・対比をすることで、「私の夢が実現した人生」や
「私は、今現在が幸せである」ことを実感するのです。

私は、なので・・私の人生を決したことをお話しすべきでしょう。
今現在は、5月1日のメイデイの翌日で、2日です・・典型が5月病です。

 私は、卒業後の幸せを願って、医者の世界で言えばインターン学生を4年間、
勉強のかたわらで願う企業で現在ならば、企業情報を求めて、夏休み、冬休み
そして春の年度代わりの休み時期に米沢玩具の企業で労働しました。

貿易実務の書類・・インボイスの書類の書き方のようなことを習いました。
さて、私の現実は、私が日本人に日本語で「マイド」で終わりでした。

 私は、毎日の午後の5時の仕事の終了時刻の退社時刻のころに、
玩具の売り上げと納品の日報の記録を書いて終わりです。
私に先輩社員は、5月の終わりに請求書の書き方を教えてあげるよ!でした。

私は、長い人生を僅か1ヶ月で大体のことを知ってしまいました。
私は、物事にすぐに、厭きるたとえ・・句や諺に「三年三月三日」が
あること考えました。
逆は、句や諺で、「石の上にも三年」です。

私は、さらに、英語で、エポックメイキングやターニングポイントを
考えました・・ことが明日。




   

2011年5月1日日曜日

私は、読売新聞を読み、日本人が「貧困」と「廃物利用」を珍重して、反対に「貧者の一灯」を考えます。

私は、日本人が哲学やこれぞ真実、人助けの心がないことが判明しました。

 私の愛読紙、30日の読売新聞夕刊13面には、「支援の古着 大量に余る」と
あります。

 私は、日本人のこのような食べ物で言えば、家畜の餌や残飯処理の現象は、
阪神淡路大震災のときにも、指摘されましたが、哲学や宗教の書物ならば、
日本人の大好きな言葉や諺に句に、「貧者の一灯」ですが、根本が
「人道主義」・・人の道から外れた行動です。

 私が子どもの時に、進駐軍のアメリカ人から手渡されたものは、
今でも、楽しいうれしい、美味しい思い出そして、継続していますが、
チョコレートやコンビーフの缶詰食料です。

 夕刊の写真と記事を読むと、東日本大震災にまったく被災しない
家庭人は、家庭ごみを排出したことを「ボランティア」とか「援助活動」とか
呼び方が何であれ、日本人の気持ち・・不要なごみを家庭の敷地から
追い出す考え方です。

ボランティアで、被災地に行けば、「旅の恥は掻き捨て」で、終わりです。

 私は、日本人に哲学・・パソコンならば、OSです、日常生活ならば、
最低が規則です・・ですが、それがありませんことが問題なのです。

 私は、日本人が敗戦後にすべては「無」や「物体が存在しない」生活、
究極が幸せを求めて、西洋アメリカ白人のように、故郷を捨てた人間なので、
歴史は繰り返す、映画の題名にもありますが、「しようがない」ことであると
思うのです・・が。